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東京地方裁判所 昭和45年(行ウ)24号 判決

原告 学校法人駒沢大学 外九名

被告 東京陸運局長

訴訟代理人 木村博典 外七名

主文

本件第一次的訴え、予備的訴えともこれを却下する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一、原告ら訴訟代理人は、「被告が東京急行電鉄株式会社に対し昭和四四年五月二九日付でした渋谷起点〇・七キロメートル・二子玉川園間線路変更処分のうち中心粁程四・七キロメートル(実測換算四・七七三五キロメートル)の地点に「駒沢公園」停留場の設置を認めた部分が無効であることを確認する。若し右の請求にして理由がないときは、前項掲記の認可処分のうち右停留場設置部分を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求の原因として、

(一)  原告らは、東京急行電鉄株式会社の運行していた旧玉川電車軌道(以下旧玉電という。)の駒沢停留場付近に所在する学校法人又はその付近で店舗を経営している住民であるが、東急は、旧玉電の輸送力が限界に達したところから、昭和三四年二月九日運輸大臣よりこれを補う渋谷・二子玉川園間の大量高速輸送機関としての地方鉄道(以下新玉電という。)の事業免許を受け、その後、情勢の変化により、被告陸運局長に対して、渋谷起点〇・七キロメートル・二子玉川園間の線路を旧玉電の軌道跡に変更し、これに伴い、当初原告駒沢大学の直近箇所に予定していた「駒沢公園」停留所(当時は「駒沢グランド前」停留場と表示されていた。)の設置場所を旧玉電の真中停留場近くの中心粁程四・七四〇キロメートル(実測換算四・七七三五キロメートル)の地点に変更する旨の認可申請をなし、昭和四四年五月二九日被告陸運局長よりその旨の線路変更認可処分がなされた。

(二)  しかし、被告陸運局長のした右認可処分には、次のごとき瑕疵がある。すなわち、

(1)  地方鉄道法施行規則一七条一項の規定によれば、陸運局長が運輸大臣の認可に係る工事方法書に記載された事項の変更を認可し得るのは、一定限度以下の線路中心線の変更・軌間の短縮、停留所の名称、建造物の変更等にかぎられ、線路そのものおよび右以外の軌間の変更、停留場の廃止又は位置の変更等は、すべて、運輸大臣の認可事項とされているものと解すべきである。このことは、同条項が「線路及停車場ノ変更ニ存リテハ新旧対照図」を添付して「運輸大臣ノ認可ヲ受クベシ」と規定していることによつて明らかであるばかりでなく、また、動力、軌間、単線複線の別は、もつぱら工事方法書の記載事項である(規則一二条参照)のに、若し規則一七条一項の規定を「線路」の記載事項のうち「左ニ掲グル事項」のみを運輸大臣の認可事項としたものと解釈すれば、同条項が「左ニ掲グル事項」として右の三つの事項を掲げているにすぎないことが意味をなさないこととなるし、実質的にみても、線路の変更は、その性質上、右の動力、軌間、単線複線の別の変更よりも重大であることに徴して、疑いを容れないところである。

それ故、被告陸運局長が運輸大臣の認可事項となつている線路そのものの、しかも、停留場設置箇所の移動を伴う線路の変更を認可したことは、権限の侵犯なしい踰越の違法をおかしたものというべきである。

また、仮りに被告主張のごとく、線路の一部変更が陸運局長の権限にまかされているとしても、運輸大臣の事業免許に係る新玉電と被告陸運局長の認可処分によつて変更されたものとを比較すれば、(イ)前者は、既述のごとく、旧玉電と併存する旧玉電の補充線としての性格をもつものであつたのに、その後東急側の用地買収の失敗等により、当初の計画に反して、旧玉電が昭和四四年五月一〇日かぎりで廃止されたため、後者は、旧玉電の代替線としての性格を有するにいたり、(ロ)しかも、起終点を除いては、経過市町村名が全く異なつているのみならず、(ハ)前者が路面上に敷設される高架鉄道であつたのに、後者は、全線にわたつて旧玉電軌道の地下に敷設される地下鉄道となり、(ニ)資金の面においても、当初予算は五九億八、四〇〇万円と見積られていたのが、一二三億五、二九〇万円と倍額以上にぼう張し、したがつて、建設費概算書、運送営業上の収支概算書等の数字の上にも大幅の変更が加わえられ、(ホ)また、軌間の点においても、前者は一、四三五ミリメートルであつたのが、後者では一、〇六七ミリメートルと明らかに所定の制限を超えて減縮されている等、両者の間に同一性を認めることは全く不可能である。それ故、前者を後者に変更することは、新たな事業免許ないしは線路認可処分としての性質を有するものとして、運輸大臣の権限に属し、被告陸運局長がその変更を認可したことは、権限の踰越又は濫用であるといわざるを得ない。

(2)  地方鉄道法一九条は、工事免許を受けた者が、「工事施行ノ認可ニ附シタル工事著手ノ期限迄ニ工事ニ著手セサルトキ」は、免許はその効力を失う(一項三号)と規定しており、運輸大臣が昭和三四年八月一九日付で東急に与えた工事施行認可には、工事著手期限として昭和三七年八月一四日までと指定されていた。しかるに、東急は、右期限までに著工せず、独占企業としての事業免許のみを先取りしたまま一〇年間も工事を遷延放てきしてきたのであるから、前記事業免許は、著工期限の経過とともに当然失効し、したがつて、被告のした前記認可処分は、その前提を欠くものというべきである。

(3)  およそ、行政において何が公共の福祉に資する所以であるかの認定判断は、主務官庁の自由なる裁量にまかされるべきであり、また、鉄道の敷設にあたりいくつの停留場をいかなる箇所に設置するかは、列車の運行計画、企業の採算等の面から決定すべき専門技術的な問題であるから、その設置又は変更の認可を担当する行政庁としては、この点に関する企業経営者の第一次的判断を尊重すべきことは、一応、これを容認し得るとしても、市民の日常生活が交通機関に依存せざるを得ない近代の大都市において私鉄が果たす公益的役割の重大さにかんがみれば、その特許は、従来のごとく単なる禁止の解除ないしは企業に対する独占的利益を付与する恩恵的な警察許可と観念すべきでなく、国家の強力な監督のもとに企業に対して包括的な権利義務の関係を創設する形成的な行政行為とみるべきである。したがつて、私鉄行政は、企業の独占的利益のみに奉仕したり、一党の党利党略の具に利用されることなく、通勤通学者を主体とする乗客大衆の利便を図り、迅速、安全かつ正確な輸送という公益の維持増進を図るべき本来的制約に服すべく、かかる制約に違背する裁量権の行使は、違法たるを免かれないものというべきである。いま、これを停留場設置・変更の認可についていえば、主務官庁としては、当該停留場の利用が見込まれる乗降人員の数、線路周辺の人口と市街化の度合い等に関する十分な調査資料とその合理的な分析の結果を勘案して、業者の判断が前記私鉄行政の目的に適合するものであるかどうかということによつて決定すべきであり、殊に、停留場の変更にあつては、従前よりの利用者が享有してきた便益を奪われないよう特段の配慮を加わえる必要があるものといわなければならない。

ところで、旧玉電当時の駒沢停留場の直近箇所には、同駅設置以前すでに原告駒沢大学の前身たる曹洞宗大学林が創設され、現在では、仏教、文学、法学、経済、経営の五学部と五つの大学院のほか、わが国最大の夜間部を擁する一大総合大学に発展し、学生、教職員の数は、二万人にも及び、そのほとんどすべての者が旧玉電当時より駒沢停留場を通勤通学に利用していたのであり、また、同駅周辺には、原告駒沢学園のほか駒沢女子短期大学、日本体育大学、都立園芸高校、都立深沢高校等多数の学校が存在し、地元商店街は、いんしんを極め、駒沢地区は、まさに、三軒茶屋以南では最大の繁華街を形成する世田谷区の中枢部であり、しかも最近にいたり、原告駒沢大学に南隣する地に駒沢オリンピツク公園およびこれに付設された体育館、陸上競技場、野球場、プール等からなる総合運動場が開設されたために、駒沢周辺の居住者をはじめ前記諸学校への通勤通学者、公園等の利用者の数は、優に数十万人にも達している。しかも、線路変更後の新玉電に設置されるべき「駒沢公園」停留場は、前叙のごとく実質的にみて、旧玉電の駒沢停留場に代わるべき性格を有するものである。しかるに、被告陸運局長が、単に駅間距離のみを基準として、旧玉電当時でさえ駒沢停留場と比らべて僅か三分の一の乗降客しかなく、しかも、旧駒沢停留場より八二〇メートルも離れた真中の地に「駒沢公園」停留場の設置を認可したことは、運輸省の通勤通学者の交通の確保という都市交通行政の基本的方針に違背するのはもとより、前記私鉄行政の目的に照らして裁量権の著しき逸脱であり、憲法一四条にも違反するものというほかはない。

(4)  前叙のごとく、近代の大都市において私鉄の担う高度の公共性、殊に、停留場が関係住民の日常生活等に対して果たす役割の重大さからみて、停留場設置・変更の認可については、主務官庁の恣意的判断や独断の弊を未然に防止するため、予め関係住民の意見を聴取してそれを右の決定に反映せしめるべきことは、法律に特別の規定があるかどうかにかかわりなく、憲法三一条の保障する正当手続の要請であり、また、近代的法治行政における行政の原理をなすところでもある。しかるに、東急はもとより、被告陸運局長においては、駒沢地元住民の意見を聞かなかつたばかりでなく、その猛烈な反対を押し切つて前記新駅の決定、認可を強行する暴挙を敢えてしたのである。

(三)  被告陸運局長のした前記認可処分は、前叙のごとくその実質において、旧駒沢停留場を廃止するものであるが、これによつて、原告ら地元住民は、長年にわたつて享有してきた交通上の利便を一挙に奪われるばかりでなく、原告駒沢大学は、入学志望者の激減をきたし、その余の原告らも、顧客を失うこととなつて、経営上甚大な打撃を被り、また、各原告らの所有する土地の価格も、現在の三・三平方メートル当り一五〇万ないし二〇〇万円から真中付近の地価と同様の三・三平方メートル当り七〇万ないし一〇〇万円に暴落することは、火をみるよりも明らかである。それのみにとどまらず、駒沢地区にある学校の多数の学生、教職員が真中の新駅から駒沢地区まで八二〇メートル以上も、限られた時間内に同時に歩くこととなれば、さなきだに狭隘で混雑を極めている交通事情からして、不測の事態の発生は避けられず、由々しき社会問題まで惹起することは必至である。

(四)  そこで、原告らは、被告陸運局長のした前記認可処分が当然無効であることを理由として、同処分を前提とする停留場設置認可行為の無効確認を求め、若し右の請求にして理由がないときは、原告らが右処分のあつたことを知つたのは昭和四四年一一月一一日で、その日よりまだ三か月を経過していないから、右認可行為の取消しを予備的に請求する

と述べ、被告の本案前の抗弁に対し、

抗告訴訟原告適格の要件として行訴法の規定する「法律上の利益」とは、単に法によつて与えられた権利のみならず、法的に保護された利益ないし法的保護に値いする利益と解するのが相当である。そして、地方鉄道法が、前叙のごとく、地方鉄道の営業を免許制とし(一二条)、その工事の施行(一三条)、変更(規則一七条、一八条)のほか、運賃その他の料金の決定(二一条)、事業の休廃止、解散(二七条)を主務官庁の許認可にかからしめる等、私鉄の経営につき各種の取締規定を設け、これを国家の厳重な監督に服せしめることとしているのは、一般公益の保護を主たる目的とするものではあるが、同時に、それが私鉄利用者の利益に資する限度において、個人の保護を図つているものというべきであるから、個人が私鉄を利用することによつて受ける具体的な利益は、単なる反射的利益にとどまらず、まさに、法的に保護された利益であるというべきである。また、仮りに、右の利益が本来的には一種の自由として事実上の利益に属すべきものであるとしても、かかる利益が近代の大都市にあつて重大な社会生活上の利益となつていることは、否定し得ないところであり、しかも、出訴事項の制限を撤廃して司法国家主義の徹底を期した現行憲法のもとにおいて、違法な行政処分によつて甚大な損害を被つた者に対し、その毀傷された利益が事実上のものである故をもつて、その救済を拒否し得べき合理的理由はないのであるから、右の利益は、法的保護に値いする意味において、なお、「法律上の利益」であるというを妨げないものである。

なお、被告は、原告らが勝訴判決を得たからといつて、駒沢地区に新駅が設置されることとなるわけではないので、本訴は訴えの利益を欠く、と主張する。しかし、本件訴訟においては、東急の申請を認容した被告陸運局長の認可処分の手続法上の違法と、「駒沢公園」停留場を駒沢地区に設置しなかつたことの実体法上の違法とが重要な争点とされているのであるから、これらの点の違法を理由とする原告ら勝訴の判決が確定すれば、被告陸運局長としては、判決の拘束力によつて、当該判決の趣旨に従い、改めて申請に対する処分をしなければならないこととなるのであるから、被告の右抗弁は、失当たるを免かれない

と附陳した。

第二、被告指定代理人は、主文と同旨の判決を求め、本案前の抗弁として、

およそ、地方鉄道法等の関係法令が運輸大臣又は陸運局長の私鉄経営者に対する許認可について種々の制限を課しているのは、地方鉄道が公衆の用に供される施設であるということから、不特定多数人の利益を擁護するためであつて、個人の利益保護を目的とするものではない。したがつて、特定の個人がたまたま右の制限の結果事実上利益を受けることがあるとしても、その利益は、法的に保護されたものではなく、いわゆる反射的利益にすぎないものであり、また、その利益を受ける状態が或る期間継続したとしても、このことによつて、右の利益が既得権ないしは既得の利益に化するわけではない。それ故、かかる事実上の利益の侵害に対して出訴を認めることは、当該訴訟の実質が法の適正な執行を求める民衆訴訟にほかならないのであるから、特段の規定の設けられていない現行法のもとにおいては、許されないものというべきである。そして、このことは、新たに地方鉄道を敷設する場合であると、既設の鉄道の線路又は停留場を廃止、変更する場合であるとによつて、その結論を異にするものではない。

また、請求の趣旨記載の「駒沢公園」停留場設置の認可は、後記叙説のごとく、本件認可処分によるものではなく、しかも、もともと、新玉電の停留場として右の「駒沢公園」停留場に相当するものが原告らの居住する駒沢地区に設置されることが決定されていた事実はないのであるから、仮りに判決によつて本件認可処分の無効が確認され又はそれが取り消されたとしても、単に当該認可処分の違法であることが確定され、被告陸運局長が、当該判決の趣旨に従い、本件認可処分のうち「駒沢公園」停留場設置に関する部分の申請を改めて却下すべき拘束を受けることとなるにとどまり、原告らの庶幾するごとく、「駒沢公園」停留場が当然に駒沢地区に設置されることにはならない。そればかりでなく、後記叙説のごとく、本件認可処分の結果、「駒沢公園」停留場の設置箇所は、むしろ、変更前の予定場所よりも駒沢地区に近くなつて、原告らは、その利便に浴することとなるのである。

右いずれの事由からみても、原告らは、本件認可処分につき抗告訴訟を提起する法律上の利益を有する者ではないから、本件第一次的訴え、第二次的訴えとも、不適法として却下を免かれないものである

と述べ、本案につき、「原告らの請求をいずれも棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求め、答弁として、

(一)  原告ら主張の請求原因事実のうち、原告らが駒沢に所在する学校法人又は商店の経営者であること、東京急行電鉄株式会社が昭和三四年二月九日運輸大臣から新玉電の事業免許を受け、その後、被告陸運局長が同社に対して本件線路変更認可処分をしたこと、新玉電が現在では当初の高架式から地下式に、また、その軌間も原告ら主張のとおりに変更されていること、新玉電の敷設工事が当初の計画より大幅に遅れ、その間に旧玉電が廃止されたこと、被告陸運局長が本件認可処分をなすにあたり地元住民の意見を聴取した事実がないことは、いずれも認めるが、その余の主張事実は、すべて、否認する。

(二)  そもそも、地方鉄道法施行規則一七条は、その一項において、「工事施行ノ認可ヲ受ケタル後線路又ハ工事方法書ニ記載シタル事項ノ中左ニ掲グル事項ヲ変更セントスルトキハ…………運輸大臣ノ認可ヲ受クベシ一動力 二軌間 三単線、複線ノ別及其ノ区間」と、その二項において、「線路又ハ工事方法書ニ記載シタル事項ノ中前項各号以外ノ事項ヲ変更セントスルトキハ………陸運局長ノ認可ヲ受クベシ」と規定し、また、同規則一八条一項は、「線路及工事方法書ニ記載シタル事項ノ変更ニシテ」一定限度以下の軌間の短縮等同条一項に掲げるものは、「前条ノ規定ニ拘ラズ………陸運局長ニ之ヲ届出ズベシ」と規定しているが、右一七条一項前段の規定は、線路の中または工事方法書記載事項の中左に掲げる事項を変更するときは、と解すべきであつて、原告ら主張のごとく、これを線路の変更または工事方法書に記載した事項の中左に掲げる事項を変更するときは、と解すべきではない。けだし、若し原告ら主張のごとく解釈すべきものとすれば、線路の変更は、その程度の如何を問わず、常に運輸大臣の認可事項となるはずであるのに、同条二項が陸運局長の認可事項の中に明らかに線路の変更を加わえていることと矛盾するばかりでなく、これを実質的にみても、規則一七条一項各号列挙事項は、鉄道各線間の相互直通運転(軌間、動力の問題)や輸送力の均衡(単線、複線等の別の問題)等大量高速輸送機関としての鉄道の使命達成上最も重要な事項であつて、私鉄行政の基本的な問題であることから、運輸大臣の認可事項とされているのであつて、これらの事項が、単なる地形的ないし施工技術上の理由に基づく線路の変更やこれに伴う停留場設置位置の変更と、その重要さの点において同一であるとはいえず、むしろ、かかる比較的重要でない事項の変更は、地方の実情に詳しい陸運局長の認可事項とされているものと解するのが合理的であるからである。なお、運輸省の実務においても、昭和三一年改正運輸省令の施行以来、右のごとき解釈運用が採られてきたのであつて、その事例を最近のものからひろえば、東京都営地下鉄一号線の新橋・泉岳寺間線路変更の認可、小田急小田原線の新百合ケ丘駅付近線路変更の認可等を挙げることができる。

しかして、地方鉄道法施行規則一七条一項の規定を前叙のごとく解すべきである以上、本件認可処分には原告ら主張のごとき瑕疵はない。いま、これをその間の具体的事情に則して詳述すれば、

(1)  本件認可処分は、被告陸運局長の権限事項である。

(イ) 本件認可処分は、旧玉電が廃止されたことに伴い、その軌道の下に新玉電を地下鉄道として敷設するという工事方法上の理由に基づき、いわゆる蛇崩川ルートを三軒茶屋・桜新町間に線路の一部変更することを認めたものであるが、その区間が全長九・四キロメートルのうちの僅か三・三キロメートルにすぎないことからみても明らかなごとく、免許に係る基本線路そのものの変更ではないのである。

そればかりでなく、もともと、旧玉電は、現在の都市計画街路放射四号線と補助二一二号街路上に敷設されていたのであるが、新玉電は、放射四号線に敷設し、しかも、帝都高速度交通営団の銀座線と直通することによつて、都心部と二子玉川園とを結ぶ大量高速輸送機関として計画されたものであり、さらに、昭和四三年四月都市交通審議会の答申を受けて、それが田園都市線に直通することにより、中央区日本橋から神奈川県長津田を経て首都圏西南地区の中央林間に至る全長四一・五キロメートルにも及ぶ一大交通幹線の一環となるに至つたのである。ところで、軌道は、軌道法の規定に基づき、道路上に敷設される路面交通機関であつて、バス等と同様、道路歩行を補助することを目的とするものであるのに対し、地方鉄道は、地方鉄道法の規定に基づき、鉄道専用敷に敷設され、大量の旅客を遠距離にわたり迅速、安全かつ正確に輸送することを目的とするものであつて、両者は、輸送機関としての使命を異にするものである。したがつて、前叙のごとく、旧玉電が廃止されたとはいえ、新玉電は、軌道としての旧玉電とは本来別個の使命を有する輸送機関であつて、決して、旧玉電に代わるべき性格のものとはなり得ないのである。また、旧玉電が廃止されるに至つたのは、前記放射四号線の拡幅工事施行の見透しが確実になつた段階で、事業免許に付帯して出されていた運輸省鉄道監督局長通達の趣旨に従い、新玉電の渋谷・三軒茶屋間を拡幅後の放射四号線の地下に敷設するよう設計変更が行なわれたが、その敷設工事を首都高速道路公団の行なう首都高速道路三号線の建設工事と同時施工する必要から、建設省、東京都、右公団および東急とが協議した結果、工事の支障となる軌道を撤廃し、バスの運行をもつてこれに代える旨の協定が成立し、同協定に基づき、昭和四四年四月二六日運輸・建設両大臣の認可を経て行なわれたものであり、その代替バスも現に運行されているのである。それ故、新玉電が旧玉電の代替線としての性格を有する旨の原告らの主張は、全く当を失した暴論というほかはないのである。

(ロ) 新玉電の経過すべき市町村は、渋谷区南平台町、目黒区上目黒、世田谷区池尻町、三宿町、太子堂町、三軒茶屋町、野沢町、新町、玉川用賀町、瀬田町となつていたが、工事施行の認可があるまでに、前記事業免許の付帯通達の趣旨に従い、三軒茶屋・桜新町間がいわゆる蛇崩川ルートに、また、帝都高速度交通営団との覚書に基づき、用賀に共用の車庫を設置することとなつたところから、昭和三六年八月一五日南平台町―野沢町が渋谷区上通―世田谷区上馬町―弦巻町にと、それぞれ、運輸大臣の起業目論見書記載事項変更認可処分によつて変更されたが、線路の起終点はもとより、「経過スベキ主ナル市町村名」そのものには、何らの変更はないのである。

(ハ) 新玉電は、当初高架式として計画されていたが、右のごとき経過地の一部変更に伴い、運輸大臣の昭和三六年工事施行認可によつて、蛇崩川ルートを除くすべての区間にわたり高架式が地下式に変更された。したがつて、本件認可処分により高架式から地下式に変更された部分は、全線路のうち右処分によつて蛇崩川ルートから変更された三軒茶屋・桜新町の区間にすぎないのであるが、もともと、高架式を地下式に変更するがごときことは、工事施行認可後にあつては、工事施行方法書記載の前記重要事項以外の事項の変更にすぎない。

(ニ) 建設費概算書や運送営業上の収支概算書の記載事項は、いずれも、事業免許申請当時における予測値であるから、敷設方法の変更や工事実施時期の遷延等の事情によつてその数字に変動が生ずるのは当然であつて、それに変動が生じたからといつて、地方鉄道としての同一性が左右されるものではない。

(ホ) また、軌間変更の認可は、前叙のごとく、昭和四三年四月の都市交通審議会の答申に基づき、新玉電を田園都市線と直通させることとなつたため、前者の軌間を後者のそれに一致させる必要からなされたものであるが、軌間変更のごときは、地方鉄道としての同一性とは無縁の事項であるばかりでなく、右の認可は、昭和四四年七月一日運輸大臣の処分によるものであつて、原告ら主張のごとく被告陸運局長の本件認可処分によるのではないのである。

以上、いずれの点からみても、被告陸運局長のした本件認可処分には、原告ら主張のごとき権限踰越の違法はない。

(2)  運輸大臣の事業免許は、失効していない。

東急は、工事施行認可処分で指定された著工期限の満了前たる昭和三七年七月工事に著手しているのであつて、原告ら主張のごとく一〇年間も工事を放てきしていた事実はない。もつとも、放射四号線拡幅事業の難行や高速三号線建設工事との調整等、当初予想していなかつた外部的事情のために、工事の著手が遅れたことは事実であるが、工事竣工期限については、昭和三九年八月二四日と昭和四四年四月七日の二回にわたり、運輸大臣より延伸認可の処分を受けている。

(3)  「駒沢公園」停留場は、真中に設置するのが妥当である。

新玉電は、冒頭叙説のごとく、単に世田谷区の交通動脈たるにとどまらず、都心部と首都圏西南地区とを結ぶ重要な交通幹線の一環であつて、遠距離大量高速輸送機関としての使命を負つているものであり、また、旧玉電廃止後は、これに代わる路面交通機関としてのバスの路線が拡充整備されているのであるから、新玉電がその使命にこたえて合理的かつ能率的な運行を行なうには、駅間距離を一キロメートル以上にする必要があり、しかも、渋谷・二子玉川園間の沿線一帯は、住宅地区としてほぼ均等に開発されているのであるから、駅間距離が均一であることは、原則として、望ましい。

東急においては、右のごとき基本的な考え方に立つて、渋谷・大橋間は、上通り、大坂上付近の利用者が少なく、かつ、地形上駅の設置が困難である等の事情を考慮して一・八キロメートルに、また、用賀・終点二子玉川園間は、台地から河川部に至る勾配の関係と環状八号線との立体交差の関係等から、一・九キロメートルとしたほかは、ほぼ均等(一・三ないし一・五キロメートル間隔)に停留場を設置することとした。そして、現実にその設置箇所を選定するにあたり、三軒茶屋は、世田谷軌道線との連絡地点で、かつ、世田谷通りとの交差点である等交通の要衝であるため、ここに停留場を設置することと決定したが、それ以南の地区における次の停留場は、真中が、三軒茶屋から一・四キロメートル(換算中心粁程一・四八九八一五キロメートル)の地点にあたり、また、蛇崩川ルート当時に予定していた上馬駅を新玉電の線路上に平行移動した地点にもあたるので、真中を「駒沢公園」停留場設置箇所としたものである。なお、同駅の選定にあたつては、真中が、放射型大量高速鉄道たる東横線と横断型大量高速鉄道たる田園都市線(旧大井町線の部分)との交差するターミナル駅「自由が丘」と新玉電とを環状道路によつてバス連絡する場合の最捷路に当る都市計画街路補助一二七号(通称「自由通り」)に出るのに最も便利な地点であるということが、その決定づけの補足的な要因となつたことも事実である。

しかして、被告陸運局長としては、申請にかかる東急側の決定が、関係諸法令の規定に違反しないのはもとより、新玉電の前叙のごとき遠距離大量高速輸送機関としての使命からみて相当であると判断したので、これを認可した次第である。原告らは、乗降人員の多寡を強調するけれども、旧玉電当時における各駅利用者調査資料だけに基づいて論難することは、当らないというべきである。

なお、右新駅の決定は、昭和四四年七月四日前記建設省、東京都、首都高速道路公団および東急間の協定で同時施工となつた工事区間における墜道構造物の施行工事に必要な工事方法書記載事項の一部変更として行なわれたものであつて、原告ら主張のごとく、本件認可処分そのものによるのではない。

(三)  本件認可処分によつて原告らにその主張のごとき損害が発生するものとは思われない。

原告ら主張の利益がいわゆる反射的利益であつて法律によつて保護された利益でないことは、本案前の抗弁の項において述べたとおりであるが、この点を度外視して考えてみても、交通の利便の点についていえば、渋谷・駒沢間の所要時間は、旧玉電当時は約三二分であつたのに、新玉電になれば、渋谷・真中間が六分二〇秒、真中から駒沢までが徒歩で約六分、合計一三分弱、約半分以下の時間ですむこととなる。また、交通の混雑、危険等の点についても、真中から駒沢までの放射四号線の歩道は、幅員三メートルで、東西線の早稲田駅・早大間の歩道が、二・七メートルであるのに比らべてみても、それ程狭隘であるとはいえず、さらに、通称「自由通り」の横断も、近く地下道で連絡し、駒沢寄りに出入口が設けられることとなつているので、これにより相当緩和されるものと思われる。

と述べた。

第三、(証拠省略)

理由

行訴法三条にいう抗告訴訟とは行政庁の公権力の行使(行政処分)に関する不服の訴訟をいうのであるが、同法が抗告訴訟のほかに、国又は公共団体の行政法規の正当な適用確保のみを目的とする民衆訴訟なる訴訟類型を設け(五条参照)、しかも、その訴訟は、法律に特別の規定がある場合にかぎり、そこに定められた者だけが提起できるとしている(四二条参照)ことに徴すれば、抗告訴訟の本質は、違法な行政処分に対する私人の権利救済の制度であつて、この訴訟によつて達せられる行政の適法性ないし法秩序の確保は、いわば、私人の権利救済に随伴する副次的な効果にすぎないものとみるべきである。したがつて、抗告訴訟を提起し得る者は、当該行政処分の取消し等によつて回復すべき自己の法律上の利益を有する者でなければならないのであつて、同法九条は、まさに、この法理を宣明した規定であるということができる。もつとも、ここにいう抗告訴訟を提起し得る要件としての「法律上の利益」は、市民生活の高度の発展、複雑化と、これに伴う行政の作用領域の著しき増大を招来するに至つた現代社会において、新憲法が出訴事項の制限を撤廃し、広く、違法な行政処分に対して私人に権利救済の機会を与えることとした法意の実現に遺憾なきを期するためには、実体法上の伝統的な権利利益の概念のみにとらわれることなく、この訴訟によつて護られるべき法的利益、いいかえれば、違法な行政処分により作出された不法状態を排除することによつて回復されるべき法的地位ないし可能性をもつて足りると解すべきである。しかし、その範囲を超え、単なる事実上の利益ないしは反射的利益を有するにすぎない者に対してまで、当該利益が或る程度具体的個人的な利益であつて、民衆訴訟における一般抽象的な利益と区別することが可能であるということから、抗告訴訟の提起を認めることは、他面、憲法が、司法権の不当な拡大を防止し、立法権や行政権に対する限界を画するため、司法審査権の対象を法律上の争訟にかぎつている趣旨(最高裁判所昭和二七年一〇月八日大法廷判決、民集六巻九号七八三頁参照)に反する虞れがないとはいえないので、むしろ、かかる利益は、司法の統制には親しまず、公益の観念の中に解消されるべきものとして、公益の維持、増進を任とする行政権の保護に委ねられているものと解するのが相当である。

いま、本件についてこれをみるのに、地方鉄道法の規制する地方鉄道は、本来、公衆の用に供する施設である(一条一項参照)が、交通機関が現代の市民生活において果たす役割、殊に大都市における市民の日常生活が、交通機関の適正な運行の上に成り立つているといつても過言ではないことに思いを致せば、私鉄事業は、ガス、電気、水道等の日常必需物資を供給する事業とともに、最も基本的な公益事業であるというべきである。同法が私鉄事業を免許制にし、工事の施行、運転計画、運賃その他の料金の決定、変更、事業の休廃止等につき国の強い監督と規制に服せしめることとしているのも、右の理由によるのである。したがつて、私鉄事業の免許を受けた者に対する工事施行の認可にあたり、運輸大臣又は陸運局長は、単に会社側の事情を考慮するにとどまらず、それが公共の利便と福祉に寄与するものであるかどうかを慎重に検討しなければならないこというまでもない。とはいえ、もともと、私鉄事業の経営は、私人の営業の自由に依拠するものであつて、それが会社の計算と責任において行なわれる以上、いかなる地域にわたつて鉄道を敷設し、また、いくつの停留場をいかなる箇所に設置するかは、会社の第一次的判断にまかされているのであつて、監督行政庁としては、会社側の決定が公共の利便と福祉に著しく違背し、公益事業としての使命、目的にそわないと明らかに認められないかぎり、会社側の決定を尊重すべきであつて、行政指導等を活用し得る余地はあるにしても、自らの判断をもつてこれに代置するがごときことの許されないのは明らかであり、まして、一般利用者は、法律に特別の規定がない以上、その意見をこれに反映させるに由ないものというべきである。そして、このことは、線路又は工事方法書記載事項の変更の認可についても、同様にいい得るところであつて、利害関係人に対して事前に意見を聞く機会を与えたり異議の申立てを認める等手続参加の規定を欠く現行法のもとにおいては、地元住民が従前の線路又は停留場を利用することによつて得ていた利益は、単なる事実上ないしは反射的なものにすぎないのであつて、法的保護に値いするものとは認め難く、したがつて、抗告訴訟提起の要件としての法律上の利益には該当しないというほかはない。

もつとも、監督行政庁が公共の利便、福祉に反する違法な認可を会社に与えた場合において、地元住民にこれを攻撃する原告適格を認めなければ、結局、認可の違法性は是正されず、法の目的が害されたままになつてしまうことは、たしかであり、また、前叙のごとく抗告訴訟における原告適格としての法的利益を緩やかに解することが現代社会の要請であつて、右のような違法の認可処分によつて地元住民の害される利益も、民衆訴訟における一般抽象的な利益と区別されることが可能であると思われる。しかし、かかる利益は、鉄道を利用することに由来し、本質的には不特定多数の乗客の利益と共通の性格を有するものであることを看過し得ない以上、憲法の想定する司法権の限界にかんがみ、所詮、司法の統制には親しまないものと認めるよりほかはないのである。

されば、原告ら主張のごとく、新玉電が旧玉電と同一の性格を有するものであり、また、被告の本件認可処分が違法であると仮定し、これにより原告らが通勤、通学等の日常生活に不都合を来たし、顧客の減少、地価の下落等経済上の不利益を被ることがあるとしても、原告らに本件認可処分の取消しを求める適格があるとはいい難く、被告の本案前の抗弁は理由があるので、本件訴えは、第一次的、予備的ともに、その余の訴訟要件につき検討を加わえるまでもなく、不適法として却下すべきものとする。

よつて、訴訟費用の負担につき行訴法七条、民訴法八九条、九三条の規定を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 渡部吉隆 園部逸夫 竹田穣)

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